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【人生】【生き方】【HSP】【うつ症状】【愛着障害】【発達不足】【生きづらさ】【自己肯定できない】【生きながら死んでいる人用】【無意識】【脳と細胞の入れ替え】【脳内言語と回路の入れ替え】【無意識へのテコ入れ】【自分育て】【消えた自分とつながる】【思い込みへのテコ入れ】【もう一度生まれよう】【自分を塗り替える】【自分の土台】

私が思う、愛着障害の困難さが増す要素

こんにちは、

幻のリセッティスト  U です。

 

愛着障害などにより、生きていない心のまま生きて数十年、

いつでもいなくなれたので、”幻”とつけています。

 

自分をリセットして、生き直すために、

これまでの体験と学びを、生きている内に少しでも形にしようと

今日もタイピングしています。

 

生きづらさと関りがある方の何かのお役に立てればうれしいです。

 

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今日は、私が思う、愛着障害の困難さが増す要素

をお話します

 

愛着障害は、一時的な困難ではなく、

その困難を、増幅したり、抱え続ける要素も兼ね備えています。

 

 

目次

 ・愛着障害を知るまでが難しい

 ・愛着障害者は、愛着を求め続ける

 ・周囲への相談では表面的な解釈で一蹴される

 ・精神障害は範囲が広く、相談先が難しい

 

 

愛着障害を知るまでが難しい

 

愛着障害の人はメンタルが弱かったり、子供大人のように周囲には映ると思います。

 

内面の障害は、パッと見では一般の方との見分けがつかないために、

本人の性格や問題点として扱われてしまいます。

 

身近な親からも、性格だ、ダメだなどと言われることは、

親自体も愛着障害の性質を持っていることが多いため、

ほぼセットで起きる現象と言ってもいいかもしれません。。

 

そんな環境によって、

自分でも、これが自分の性格だし、自分はダメなんだ、

と無意識に思い込むことになります。

 

そうすると、その性格を直そうと必死になるか、

もう直らないと開き直る となったりして、

どちらにしろ、解決するには難しい状態となります。

 

▼式にすると、こんな感じ

本来の原因愛着障害 ⇒ 愛着に関してアプローチしよう!

×自他ともに思い込む原因性格、特徴 ⇒ ダメな人、がんばれ、無理だ‥

 

 

そもそも、自分の内面の成長に向き合ってくれる存在がいなくて、

(お互いの向き合い方に困難がある時も同じ)

まして周りで愛着障害の知識を持つ人も少ない。

 

自分からその道を探り出して、足を踏み入れる以外に、糸口がないのです。

 

きちんとした知識を得られない内は、回り道、迷い道もしますし、

自分の生きづらさの原因=愛着障害

にたどり着くまでが難しいんですね。

 

 

愛着障害者は、愛着を求め続ける

 

愛着障害の人は、精神的に甘えた部分があります。

 

でも、その生い立ちを考えるととても自然なことで、

幼少期での ”甘える・甘えさせてもらう”  がしっかり行われず、

卒業できていないからなんじゃないかと思います。

 

人というパズルを作る時に、

幼少期にしか埋めることができない部分があるのに、

その時にパーツを与えてもらっていないんですね。

 

だから、その後自分で頑張って埋めるも、

その部分はパーツが足らず埋まらないので、

ずっと合うものを探したり、不安定で落ち着かないんですよね。

 

それが、自分で自分をコントロールできないことや、

人からの愛や承認にすごくとらわれること につながります。

 

しかしながら、大人になった状態でよほどのことがない限りは、

他人や身内とも、母子的愛着を築くことが難しいため、

求めても求めても足りない、不安から抜け出せないという

負のループが続くことになります。

 

 

・周囲への相談では表面的な解釈で一蹴される

 

HSPの人は、よくこんな風に言われなかったでしょうか?

 

・考えすぎ、気にしすぎ

 

HSPの方には、HSPの内面で起きている状況がわからないため、

悪気なく気休めの言葉をなげかけます。

 

ですが、HSPの性質が広まったことで、そのように言う方は減ったと思います。

 

また、ジェンダーなど、人間の多様な内面が、共通認識にまで広まったことで、

この人も内面に何か抱えているのかもしれない…と

外側だけを見て、安易な判断をしないような流れができてきたと思います。

 

閉鎖的な日本で、インターネットによって多様さを知る機会が増えたことは

とても良いことだなと思います。

集団意識に外にある様々な考えや、わかりやすく見える証拠がないと、

集団の思い込みで封じられてしまうので。

 

話がそれましたが、

愛着障害も、HSPADHDなどと同様に、

性格や、変わった人というレッテルを貼られて終わることが多いです。

 

愛着に関しては、ちょっと説明したくらいでは、

「そんなのみんなそうだよ」なんて言われても不思議ではないですよね。

人間は一人で生まれ、一人で死ぬんだよ。

みんながんばっているんだから、

あんたもがんばりな。

という感じで。

 

 

私は、だんだんと自分の問題がわかるにつれ、

人とは違いすぎる問題を抱えていることに気づいていき、

 

普通に生きている周囲の人には知りえないことだと想像できるし、

相談しても相手を苦しませてしまう、自分もつらいままという

共倒れになる。と学生の頃に気づきました。

 

しかも、私が本当に欲しいのは、

知識に頼るところの ”原因や解決方法” であり、

また自分を全てさらけ出せて、まるごと受け止めてくれて一緒に考えてくれるほどの ”癒し” 。

 

本来なら若い年齢の内に沢山の経験をしながら、卒業していく過程ですが、

ある程度の歳になると、関わる人も少なくなる上、

自立前の自分をさらけ出すほどの強い関係を持つことは、

恐怖もあり、迷惑をかけることもあり、選択肢がなく、本当に困難。

 

いつか忘れたけど、

仲のいいお姉ちゃんと何気ない会話ですが、父のことを話して、

返してもらったコトバで、苦しさを覚えたものがありました。

 

”(父について)そこが良いとこじゃない?”

 

言葉は覚えていないですが、まだ子ども?の私を諭すように返してくれたことです。

当時の私の伝え方が足りないし、返してくれた言葉を理解するのも難しかったですが、

 

『親=大切なもの、感謝するもの』

という前提とともに、

否定的な視点を肯定的に変える 方がいいよ!

ということを教えてくれようとして、

悪気なく、優しく伝えてくれましたが、

それ以上は平行線になるので何も言えませんでした。

 

愛着障害を知って確信に変わりましたが、

残念だけど、家庭内での悪影響が自分の問題の原因だとすでになんとなくわかっているんですね。

 

ギリギリの精神でいる私にとっては、

こんな風に真実を見てもらえない、自分を否定される、

良い考え方や行動ができない、

それができずに困っているのに…

 

という二重苦、三重苦に陥るばかりです。

 

愛着障害にとっては、そういうコトバを聞くたびに、

また独りになっていくんですね。

 

それもそのはずです。

私は一般的なところからはみ出ていたんです。

 

愛着障害の私が求めていたもの

・癒し :自分で自分の全てを受け止められること

・解放 :自分の奥底にある苦しみから解き放たれること

・原因 :自分を苦しめる得体のしれないものをとらえたい

・アプローチの方法 :モグラ叩きのような対処ではなく、根本を変える方法

 

これは、 ”素人” には扱えないわけです…。

 

そんなこともあり、

いつしか私は、プロの人にしか話せないことなんだと悟っていきます。

 

 

精神障害は範囲が広く、相談先が難しい

 

かつての私は、自分の精神について、

病院に行くことすらとても勇気のいることでした。

しかし、どいういうきっかけか忘れましたが、

一度思い立って、心療内科専門のクリニックに行けたことがあります。

 

あれは今から20年前くらいの、

多分まだスマホがない時代だったと思います。

 

病院に行けただけでもすごいことで、

私は、前に進んでいる感覚を味わって、怖さ半分嬉しさ半分でした。

 

ですが、結果的にはそこでも失望してしまったのです。

 

その時はたしか、診察室で

先生が問診表と私を見ながら、少しお話した後です。

 

おそらくマイナス思考の私に、プラスのコトバを投げかけるためだと思いますが、

「いい奥さんになりそうですね。」

と、先生がおもむろに私に言ったのです。

 

受け答えがおっとりしていたり、穏やかな雰囲気があったかもしれませんが、

(私はなるべくそうなりたくて意識的にゆったりするようにしていました)

やっと病院に行けたくらいなので、内面の私は、とても不安定でした。

 

私は、今まさに生きづらく自分のことで精いっぱいなので、

病院に来るのもやっとで

なんとかしたくて来診したんです。

 

さらに私には幸せな家庭の実体験がなく、

身体にも頭にもその感覚がないので、幸せな子供を育てることはできない、

自分と同じ悲劇を繰り返さないようにしたい、

子どもはおろか、結婚すらもしてはいけない

という考えを持っています。

 

とても優しくいたい気持ちとは裏腹に、

いつもナイフのように人を傷つけたり悲しませたりしてしまう、

私は人にかかわってはいけない、いてはいけない位の存在。

 

私の内面はこうでしたが、

先生の会話や態度から、

私の深刻さと先生との間にとてもズレを感じました。

 

(当時は強迫観念や完璧主義や言語の不自由さ、会話の不一致、理解力のなさ、思い込みも激しく、声も字も小さく、呼吸も不自由だったと思います)

 

結局、ここでも表面的な情報のやり取りになるのか、

あぁ、私は、ここじゃないんだと失望し、

その後、そのクリニックに足を運ぶことはなくなりました。

 

 

余談ですが、その数年後に、ひょんなことから、

プロカウンセラーとのセッションを無料で何回か受けれる機会があり、

私はチャンスとばかりに、自分のことを打ち明けました。

 

(当時のカウンセリングは、価格が一回7千円?くらいだったかな?

 1回受けてどうにかなるものではないのはわかっているので、

 とても通える価格じゃなかったんですよね)

 

そこで得られたものは、

”この世で自分以外の人に、自分の抱えている悩みを言えた”

ことがとても大きかったです。

 

ですが、私自身の問題で、

頭の中を言語化できなかったり、正直に伝えれなかったりして、

カウンセリングで前に進んだかというと、

そうはいきませんでした。

 

これが、今から10年以上前のことです。

その時は、スマホが出来た位だったと思いますが、

調べる手段が限られていて、

自分自身をとらえることも難しい時でした。

高価な未知のカウンセリングにとても希望を持っていたので、

経験できたことは良かったけど、

まだ闇は続く 自分はこのまま を思い知った結果となりました。

 

 

そんな感じで、愛着障害は、

・まずそこにたどり着くまでが難しい

・愛着問題は根深く、自然に抜け出すのは難しい

・人に助けてもらうのも難しい、ハードルが高い

と、困難をさらに増す要素も持っています。

 

今は、診察内容で掲げているクリニックも多くなったり、

無料や有料の資料も増え、頼れるところは増えましたね。

 

自他ともにハードルが高い愛着障害だけど、

愛着問題にアプローチする人が増えて、

数年後、数十年後にはもっと身近な考え方になったら、

親世代が知識をもって自分と子どもに向き合えるようになっていきます。

 

幸せな親が増えれば、幸せな子どもが増えて、

その子がまた幸せな親になって…

将来的に、この問題で生きづらい人が減っていき、

 

生まれてよかったと、産んでくれてありがとうと

心から思える人が一人でも多くなるといいなと思います。