*Caldo-TESORO* *Re-live* *Re-color* *Re-me*

【人生】【生き方】【HSP】【うつ症状】【愛着障害】【発達不足】【生きづらさ】【自己肯定できない】【生きながら死んでいる人用】【無意識】【脳と細胞の入れ替え】【脳内言語と回路の入れ替え】【無意識へのテコ入れ】【自分育て】【消えた自分とつながる】【思い込みへのテコ入れ】【もう一度生まれよう】【自分を塗り替える】【自分の土台】

ゴミと宝もの

 

 

 

【ゴミと思えばゴミ、宝ものと思えば宝もの】

 

 

欠点も、

 

要らない、見せたくない、捨てるもの

 

と思えば、  ゴミ  となり、

 

 

必要なもの、かけがえのない、大事なもの、

 

と思えば、 【宝もの】  となる。

 

 

もし、ゴミだったら…

隠そうとする。

早くなくしたいと不安になる。

 

”自分の一部はゴミ”という意識になる

 

 

でも、宝ものなら、

堂々と見せられる。

大事にする。

 

【”自分の全てが宝もの”という意識になる】

 

 

 

▼「宝ものの私」を大事にできるようになると、

 

そもそも、欠点のある人間、生き物、自然世界を

 

欠点、優点に振り回されることなく、

 

全て宝もの

 

という前提のもとで

 

人、生き物、自然世界を尊重し、大事にすることができる。

 

 

 

結論:

 

欠点は、ゴミではなく宝もの

欠点は、隠すものではなく、堂々と見せられるもの

欠点は、ないがしろにするものではなく、大事にするもの

 

 

※じゃあ、ゴミ屋敷とか、ジャイアンが歌を聞かせるのはOKてこと?

 なぜいけないか、

 捨てない=大事にしている ではない。

 ゴミ屋敷は、「大事にしていない、できない=ゴミ」に自らしていることになる。

 ゴミ屋敷に住んでいる人がゴミと思っているなら、ゴミなのです。

 歪んで認識している=宝もの ではない。

 ジャイアンが幸せなのは、自分の歌を上手だと思っている 「歌=優点=宝もの」 だから。

 でも、下手だとわかって、 歌=欠点=ゴミ になってしまったら、その瞬間から不幸せになってしまう。 つまり、上手だと認識している間だけ宝もの(優点=宝もの)で、それは裏返すと欠点=ゴミと同じ。

 

うまいかどうかに関わらず、(ただし、それを客観的に認識することは大事)

宝ものだと思う(身体で感じる)ことなのです。