【ゴミと思えばゴミ、宝ものと思えば宝もの】
欠点も、
要らない、見せたくない、捨てるもの
と思えば、 ゴミ となり、
必要なもの、かけがえのない、大事なもの、
と思えば、 【宝もの】 となる。
もし、ゴミだったら…
隠そうとする。
早くなくしたいと不安になる。
”自分の一部はゴミ”という意識になる
でも、宝ものなら、
堂々と見せられる。
大事にする。
【”自分の全てが宝もの”という意識になる】
▼「宝ものの私」を大事にできるようになると、
そもそも、欠点のある人間、生き物、自然世界を
欠点、優点に振り回されることなく、
全て宝もの
という前提のもとで
人、生き物、自然世界を尊重し、大事にすることができる。
結論:
欠点は、ゴミではなく宝もの
欠点は、隠すものではなく、堂々と見せられるもの
欠点は、ないがしろにするものではなく、大事にするもの
※じゃあ、ゴミ屋敷とか、ジャイアンが歌を聞かせるのはOKてこと?
なぜいけないか、
捨てない=大事にしている ではない。
ゴミ屋敷は、「大事にしていない、できない=ゴミ」に自らしていることになる。
ゴミ屋敷に住んでいる人がゴミと思っているなら、ゴミなのです。
歪んで認識している=宝もの ではない。
ジャイアンが幸せなのは、自分の歌を上手だと思っている 「歌=優点=宝もの」 だから。
でも、下手だとわかって、 歌=欠点=ゴミ になってしまったら、その瞬間から不幸せになってしまう。 つまり、上手だと認識している間だけ宝もの(優点=宝もの)で、それは裏返すと欠点=ゴミと同じ。
うまいかどうかに関わらず、(ただし、それを客観的に認識することは大事)
宝ものだと思う(身体で感じる)ことなのです。