めんどくさがり を一瞬で治す方法:2 めんどくさいの実態を知ろう
”めんどくさがりや”さんは、
何かやることが出てきた時に、
即座に「めんどくさい」が浮かびます。
また、すぐ「めんどくさい」と口にします。
頭を使うことや、行動することが発生する
と同時に、反射的に考えてしまうのです。
条件反射と同じです。
ある状況、ある場面、ある瞬間の時と、めんどくさいとが
セットで脳内に刷り込まれていることもあります。
自ら能動的に考えているわけではなく、
次の瞬間、もうすでに脳内にある
という状態なんです。
めんどくさがりの人は「めんどくさい」
という『コトバ癖』を持っています
コトバ癖とは、
つい使う、つい考える、つい口に出す言葉を
このように表しました。
表に出さなくても、頭の中でも
自動で繰り返されます。
繰り返しになりますが、
”めんどくさがりや”さんは、
めんどくさいという考え癖を持っているんですね。
考え癖は、自然発生的に
脳内で発生します。
それは、勝手に浮かぶので、
自分ではそういうもの、逆らえないものという
ふうに思い込んでいることがほとんどです。
それが自分の性格と自覚する人も多いでしょう。
性格の話は、今回は割愛しますが、
まずは、
”めんどくさい”は単に”考え癖” ということを知ってください。
重度の”めんどくさがりや”が治った方法
私はかつて、救いようがない程の「 めんどくさがりや」 でした。
どれくらいかと言うと、
何かをしようとすると、すぐさま「めんどくさい」
という文字が頭を占領し、
ため息が出ると同時に、腰や身体全体がズンと重くなり
目の上が霞がかり、瞼が半分閉じ、
頭は囚われて思考停止状態になります
例えば、部屋で、目の前にあるゴミを拾う
(家の中で最も簡単な掃除でしょう)
そんな秒で終わることですら、
ゴミを見つけた瞬間、全身がしんどくなります
拾うかどうか本気で悩みます
見てみないフリをしたり、
次そこを通る時、はいつだろうとか…
笑い話ではなく、本気でです。
頭の中は忙しいのに、身体は微動だにしない
はたから見たら、ただの怠け者ですが、
本人は、
本気で”めんどくさい”と戦っているんですね。
治るかどうかなど考えないレベルで
私の細胞は”めんどくさい”で染まっていました。
そんな私が今では、
重度のめんどくさがりやを卒業した
とはっきりと言えます。
知っているか知らないか。
人はたったそれだけのことで
一瞬で別次元の自分に移動できます。
今日も同じように生きづらさの中にいる方へ
共有していきたいと思います。
今日のテーマは”めんどくさい”からの解放”です
あなたは、どれくらいのめんどくさがりや
ですか?
過去の場面を思い出してみてください。
それを考えるのもめんどくさいですか?笑
いいんですよ。
あなたがめんどくさい思考であればあるほど
効果があります。
ではずばり、
めんどくさいを一瞬で治す方法はこれです↓
解説していきますね。
まずは、めんどくさいの原理。
次のページで、3つの原理をお伝えします。
みんなと同じようにできなくてもいい
【みんなと同じようにできなくてもいい】
主に事務仕事をしている頃、私にはミスが多いことに気づいたの。
確信をもって言ったことが、覚え間違いしていたり、
やったと思っていたことが処理できていなかったり。
頼まれものを渡しに出て帰ってくると、渡した先の状況が頭から消えてて、
報告話もろくにできない。
次にやるべきことが全く想像できなくてバラバラの動き。
みんなと同じような動きで、普通にできてる風にしているけど、本当はすっからかん。
恥をかきたくない気持ちと、コトの重要さがわかっていないから、
できない自分にフタをする。
あとは、あまりにも未熟すぎて何を聞いていいかも不明だった。
職場には本当めいわくな存在だったと思うわ。
危機感を感じた私は、職場の人たちを観察したり、本を読んだりして少しずつコツをつかんでいった。
私の頭の中に仕組みを作ることがまず必要だった。
誰もそんなことまでメモしない、っていうことまでメモをするようになった。
担当者へ伝達すれば私の仕事は完了ということでも、伝える前に頭にはっきりあるうちに要点を走り書きした。
ミスは起きるべく起きている。
人一倍、頭の中が幼いことは致し方がない、
見たは同じだけど、私はみんなとは違う。
私には私のやり方が必要なんだ。
そしてそれは、いままで雑にしていたことを、一つ一つ丁寧にすることだったり、
確実に処理できた。という確認を当たり前にすることだったり。
みんなと同じようにできなくてもがっかりすることはないの。
かっこ悪くも、恥ずかしくもない。
同じ目的をみすえていれば、どんな方法だっていい。
自分に必要なやり方をすればいい。
でも、目的をちゃんと見れていない上司がいたら、
見慣れないやり方を頭から否定してくるかも。
そんなときは、職場を変えることをおすすめするわ。
どんな私でも愛される
【どんな私でも愛される】
がんばらないと
結果を出さないと
効率よくしないと
成長しないと
…
精神的に人一倍未熟な私は、自分をコントロールできるようになってから世界が変わったの。
よし、私は自分を育てなおしするんだ。
もっともっと変えたくて、理想を追いかけた。
理想を追いかけたり、改善することは良いことだと思っていたの。
だけどずっと足りないの。幸せになるパーツが。
私にはどこを探してもないみたい。
だからいつでも崩れるの。
ある日そのパーツだけで構成されているような知人にきいたの、
どうしたら 心が強くなるのかなって。
そしたら
……みんな弱いよ。
って返ってきた。
それで気づいたの。
あぁそうか…
強くなる必要ないんだ。
って。
子供や動物はそのままの姿で愛される。
どんな弱い姿でも、どんなカッコ悪い姿でも、どんな未熟な姿でもそのままでいいんだ。
理想を追いかけたり、弱ったときにつらさを感じたり、
私は自分の姿を否定していたんだね。
なんとなく
「どんな私でも愛される」
って唱えてみたら、
胸の真ん中あたりにぼわっとした玉が出てきて
あったかくなって、心地よくなったの。
きっとこれが探してたパーツなんだね。
どうしても顔がひきつってうまく笑えなかったのに、
その後、自然な笑い顔ができるようになったの。
私以外の何かが不安定になったり崩れると、私も不安定になるし崩れていたの。
でも幸せパーツが私を支えてくれるから、私はもう崩れない。
怒りは切り離せる
【怒りは切り離せる】
電車に乗っているとき、ドアにかぶる位置で立っているホーム側の人。
まだ降りる人がいるのに、すれ違ってまで乗る人。
合理的に生きることが当たり前だった私は、非合理的な状況に出くわすといつもイライラしてた。
朝から不機嫌だったわ。
でも、そんなある日気づいたの。
事実は変わらないのに、なんのために私はイライラしているんだろう?
よく考えたら、彼らは私を怒らそうとしているわけじゃない。
彼らにとっては、そこにいることが自然だからそうしているだけなんだ。
私と同じ状況でも違う感情の人もいる。
私があえてイライラの感情を選んでるのかもしれないって。
私は生きている時間をなるべく幸せに過ごしたいと思っている。
だったら、彼らのためにイライラするか、自分のために穏やかに過ごすか。
私はどっちの人生を選びたい?
次電車に乗ったときに試してみたら、かんたんに気持ちが変えられたことにびっくりしたわ。
そしてとても軽やかに階段をのぼっている私がいた。
それ以来、うそみたいにイライラすることはなくなったし、ホームで待っている人たちの顔を見る心の余裕もできたの。
前はイライラして彼らの方をまともに見れなかったから。
私は、彼らの問題と自分の感情を切り離すことができたの。
知人に雨が降ると必ず不機嫌になる人がいたの。
私は言ってあげたの。
雨が降ることは自然なことで、雨は私たちを怒らそうとしていない。
ただ降っているだけ。
あなたが怒っても怒らなくても何も変わらないんだよって。
不機嫌に過ごす時間と機嫌良く過ごす時間、
好きに選べるとしたら、
あなたはどっちの人生にする?
肩こりは、肩が私のためにがんばってくれたから
【肩こりは、肩が私のためにがんばってくれたから】
肩こりがひどい時、そのあまりのつらさに身体を責めてしまってたの。
ボロボロになったあげく私に責められ、ふんだりけったりで肩こりはひどいまま、私の身体はこわばる一方だった。
でもそんな状態になったのには必ず自然な理由があるって気づいた。
私のために無理してくれたり、ちゃんと休ませてあげなかったりね。
ある日痛いところに手を当てながらこう言ったの。
「こんなにがんばってくれてありがとう」って。
そしたら、肩から力が抜けて身体がゆるんだの。
そして肩が表情で応えてくれている感じがした。
それ以来、「身体は私のために一生懸命がんばってくれているんだ」って、思うようになった。
もちろん無理させないように、身体の声を聴くようにもね。